法隆寺が飛鳥・奈良時代

法隆寺が飛鳥・奈良時代にさかのぼる建築や美術工芸品を多数残すのに対し、四天王寺はたび重なる災害のため、古い建物はことごとく失われている。

早くも平安時代の承和2年には落雷で、天徳4年には火災で主要伽藍が失われている。

聖徳太子は日本仏教の祖として、宗派や時代を問わず広く信仰されてきた。

太子の創建にかかる四天王寺は、平安時代以降、太子信仰のメッカとなった。

また、四天王寺の西門が西方極楽浄土の東門であるという信仰から、浄土信仰の寺としての性格も加えていった。

太陽の沈む「西」は死者のおもむく先、すなわち極楽浄土のある方角と信じられ、四天王寺の西門は西方の海に沈む夕陽を拝する聖地として、多くの信者を集めた。現在も寺に伝わり国宝に指定されている「四天王寺縁起」は、こうした信仰を広めるのに大いに力があった。

「四天王寺縁起」は伝承では聖徳太子の自筆とされ、寛弘4年、金堂内で発見されたとするが、実際には後世の仮託で、「発見」時からさほど隔たらない平安時代中期の書写とするのが通説である。
update:2010年02月26日